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縣居通信


【縣居通信3月】
真淵の遠江の孫弟子・石川(いしかわ)依平(よりひら)
 石川依平は、寛政3年(1791)、遠江国佐野郡伊達方村(今の掛川市)に生まれました。依平は幼いころから歌を詠み、6歳のとき、掛川城に召されたり、7歳のとき、大和郡山候や有栖川の姫宮に歌を奉ったりして神童ぶりを世にもてはやされました。
 17歳のとき、本居宣長の『玉あられ』を見て己の学識のなさを嘆き、18歳で栗田土満に入門しました。
 さらに、栗田土満が75歳で亡くなると、23歳で伊勢の本居春庭に入門したのは、石塚龍麿や夏目甕麿の勧めによるものでした。

石川依平が単なる歌詠みで終わらなかったのは、どうしてでしょうか?  それは、石川依平が多くの国学の師や学友に恵まれていたからです。本居宣長の『玉あられ』を見たり、栗田土満に入門できたりしたのも、16歳のときに既に服部菅雄(宣長の門人。引佐郡下都田村の旧家の次男、島田宿の豪商服部家の養子。)の指導を受けていたからです。
 ところで、17歳の依平が読んで感動した『玉あられ』とはどのような書物だったのでしょうか。『玉あられ』は、本居宣長が60歳のときに書いた語学書です。近世の人の歌には誤りが多いとして、古語の正しい用法を「歌の部」66条、「文の部」45条にわたって説いています。依平は、若くして宣長の学識のすばらしさが理解できたのです。天才歌詠みの依平が、本当の学者に生まれ変わるきっかけになったのがこの書物だったのです。

 依平は、単に優美な歌を詠むことに飽き足らず、根本より学ぼうとしました。そして、栗田土満や本居春庭らに師事する中で国学の基礎をみっちり学びました。特に、歌は「万葉」に基本を置きながら研究を深め、依平の書入れ本等からは、その学びの真摯さがひしひしと伝わってきます。