メールでのお問い合わせはこちらから

お問い合わせ

縣居通信


【縣居通信2月】
「万葉」への熱き思い ~賀茂真淵から門人たちへ~
 真淵は69歳の時に『にひまなび』などで「万葉集を常に見よ。且(かつ)我歌もそれに似ばやと思ひて、年月によむほどに、其調(しらべ)も心も、心にそみぬべし(=しみ込む)」と教えていますが、それが門人たちにどのように継承されたのでしょうか。

 『万葉』に似せるひとつの試みが、『万葉』と同様の万葉仮名書きでした。これは、ただ単に表記面で『万葉』の真似をすることではありません。自分の歌を『万葉』にある通りに表記するためには、万葉仮名の使われ方を調べることから始めなければなりません。このように、詠歌を万葉仮名書きにすることは、真淵の門人内山真龍(うちやままたつ)・栗田土満(くりたひじまろ)にも見られ、さらにその門人石塚龍麿(いしづかたつまろ)・高林方朗(たかばやしみちあきら)・夏目甕麿(なつめみかまろ)たちになると、より正確な書き方をしようと努めるようになりました。遠江国細田(現在の浜松市西区協和町)の石塚龍麿は、内山真龍門の国学者・国語学者であり、本居宣長にも入門し『古言清濁考(こげんせいだくこう)』の著があります。宣長が書いたその序文の中で、宣長自身、上代国語の清濁を正したいと思っていたのに、時間がなくて果たせなかったこともあり、龍麿の『古言清濁考』を「いにしへの言葉のこゑの、すむとにごるを」「あまねくつばらに、あきらめたる」と褒めています。また龍麿は、『仮字遣奥山路(かなづかいおくのやまじ)』を書き、のちに国語学者橋本進吉氏[注1]によって、上代特殊かなづかい[注2]の研究として真価を認められるようになりました。

 このように詠歌の“万葉仮名書き”は、国学者たちの“古典研究”から“言葉の研究”へと深化発展させていく重要な礎となりました

注1)橋本進吉(1882~1945)
国語学者。福井県生まれ。東京帝大教授。国語の歴史的研究、なかでも上代特殊仮名遣いの研究など、音韻史に関して大きな功績を残した。

注2)上代特殊かなづかい
奈良時代およびそれ以前の万葉仮名の使用に見いだされる、特殊な仮名遣いのことです。江戸時代に本居宣長が気づいて、その弟子の石塚龍麿によって実例の収集整理が行われました。