メールでのお問い合わせはこちらから

お問い合わせ

縣居通信


【縣居通信6月】
偉大な国学者 賀茂真淵の素顔に迫る ~蕎麦とお酒が好きだった真淵~
 偉大な国学者として名を残している賀茂真淵ですが、現在残されている資料から蕎麦好きだった一面を知ることができます。明和元年(1764)正月廿五日に真淵が門人の磐田郡大谷村(現天竜区大谷)の内山真龍へ送った書簡の中に「・・・・かの山そばもおそくとも頼入れ候、・・・」とあり、真龍にそばを送るよう依頼していたことが分かります。真龍は蕎麦だけでなく炭も毎年のように真淵に送っていたようです。真淵の別の書簡(年代、宛名ともに不明)にも「・・・そは麦給はせる、こ(此)はこと(異)によろ(宜)しうて好み侍るなれは、・・・」とあり、蕎麦が好物だったことが分かります。また、他の資料から、晩年の真淵は、総じてあっさりした味のものを好んだようです。賀茂真淵は、お酒もたしなんでいたようで、真淵の研究者であった井上豊氏によると、真淵の京都遊学時代には秦親盛(伏見稲荷大社の神官)や物部敏文と飲み歩いていたようですし、「遊祇園詩」の作などもあったらしいということです。真淵家集巻一には、「同じ二十六日に、津軽爲春のもとにはじめてゆき侍るに、酒さかなとりまかなひ物語きこゆるついでに、冬がれの垣根も今日こそ初花のかをり覺ゆなど歌よみ出しけるに、醉てかへしえせで、云々、」というような記述も見られます。「醉てかへしえせで」(酔って返歌ができない)とありますから相当にたしなんだものと思われます。また、晩年には有名な「うま酒の歌(美酒歌)」もあります。
 煙草については、「ふぶくろ」に「よろしきたばこを給へる、なぐさみ侍るべし」とあり、煙草をたしなんでいたことが分かります。

 江戸での真淵は、地方の門人から送られる土産をとても喜んでいました。例えば、三河の吉田村の親戚、植田氏は毎年必ず蕪(かぶ)を真淵に送り、真淵はそれをお仕えしていた田安侯などに献上していたようです。また、遠江国城飼郡平尾村(現菊川市)の栗田土満からは小笠松茸の味噌漬け相良和布など、森繁子や子の真滋からは鰺の干物などを江戸にいる真淵の元に送っていました。江戸住まいでは、なかなか手に入らない故郷の土産物を手にして喜んでいる真淵の様子が目に浮かびます。