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縣居通信


【縣居通信4月】
賀茂真淵(かものまぶち)の歌碑をたずねて…浜名湖編
 万葉集の和歌への強い思いを持つ賀茂真淵は、「いにしえの歌は調べをもはら(もっぱら)とせり」と言い、さらに「歌は高く直きものでなければならない」と主張しています。言い換えれば、万葉の時代のように、声に出し、雅に雄々(おお)しき歌をもとめていました。
 そうした思いを具現しようと、真淵は自ら、率先して和歌を詠みます。そうした和歌のいくつかが、ふるさと遠江に、歌碑となって残っています。風光明媚な浜名湖周辺にも二つの歌碑があります。
 湖西市新居町の文化公園内にある真淵の歌碑は、図書館前にあります。なお、この新居図書館の日本庭園は、島根の足立美術館庭園も手掛けた著名な造園家「中根金作」の作庭によるものです。
 平安の昔から、地震で浜名湖南岸の砂州が決壊して海とつながるまで、浜名湖から海にそそ名 ぐ川を渡る浜名橋がありました。詞書きから藤原定家や源頼朝など多くの歌人がこの橋を詠んでおり、真淵はありし昔の美しい光景を思い浮かべて詠んだと思われます。「雪を踏み分けていって、今もわたしは見たいものだ。遠江の浜名の橋に降り積もっている白雪を。」といった意味。真淵45歳の頃の作といわれています。