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縣居通信


【縣居通信11月】
江戸で賀茂真淵を支えた女性
 真淵には、江戸での生活を支えてくれた女性がいました。どんな女性だったのか、真淵が記している祭文から紹介します。

野原りよ女
 りよは、真淵が田安宗武の和学御用になる前の48歳の時から同居しました。実母の死、新宅の火災、和学御用拝命という真淵にとって激動の時期に、身の回りの面倒を13年間見て家政を扶(たす)けた女性です。彼女が亡くなった際に執筆された真淵の祭文に、その人となりが記されている部分があるのでご紹介します。
 「りよは若い時に、ある大名家に奉公し、ある人の妻となって、女児と男児を生んだ。その後、夫が亡くなったが、再婚しようとは思わず、子供を立派に育て上げ、家を再興させることだけを願った。私はその思いに感動し子供も一緒に同居することにした。それ以降13年間、私の仕事を助けて、誠実な心で尽くしてくれた。私が家を再興できるに違いないと言うと、ここ数年で初めて喜びの表情を浮かべた。ところが、今年の10月1日、46歳で亡くなってしまった。彼女は、志が高く、心が澄んでいて、分別がある人であった。」
 左の写真は、真淵から森繁子へ返却された添状です。田安家仕官中の書で、りよの発病と死を伝えたものです。


森(もり) 繁子(しげきこ)
 繁子は、浜松五社神社神主森暉昌(てるまさ)の娘で、歌集『玉がしわ』を著し、県門の三才女と比べても遜色ない女流門人です。真淵も繁子には本音を言いやすかったようで、大番格奥勤め十五人扶持へ累進したことや、隠居を許されたあとも出仕して御用を仰せつかることもあるといった内容を伝えた書簡が残っています。
 左の写真は、真淵が添削した森繁子の詠草です。題は「郭公(かっこう)」「菖蒲(あやめ)」「早苗」「盧橘(ろきつ)」で、それぞれ2首ずつ詠まれています。


参考:『賀茂真淵―伝と歌』(奥村晃作著 短歌新聞社)  『賀茂真淵伝』(小山正着 世界聖典刊行協会)